降りてきたメッセージです。そのまま記します
悲しみのとき
誰かにそばにいて欲しいと願うのはなぜでしょう
もともとひとつであった人が分かれて、昔を思い出し、またひとつになろうとする願いからかもしれません
悲しみの時にあって人は何を望むのでしょう
それは、誰かが悲しみを共有して、自らの思いを理解して欲しいと望むかもしれません
遥か始原の昔には、人は個として存在しておらず、根源と一体でした
根源である主は自身を現すために数々の光を創造されました
光の子らである私たちは、自身の性質である光を体験するために、光の覆われた世界に、物質世界である現世に、舞い降りてきました
自らが光であることの記憶を消し、光でないものを体験するために
光の世界では、私たちは主との一体感と、仲間たちとの深い絆を、言葉で表さずとも、体感して生きていました
それが地上にあるときは、硬い物質の肉体に覆われて、全てと切り離されて生きていきます
人が悲しみを感じるとき、本来の世界から切り離された一体感を懐かしんでいるのかもしれません
悲しみや、苦しみがある地表へと生まれてきた私たちは、本来の私たちの性質を味わうために約束して生まれてきています
喜びばかりの世界では、その喜びがどれほど尊いのか、主と一体であることの喜びがどれほどの幸いであるかを知りません
なぜなら、そうではない状態を体験したことがないからです
ですので孤独な時や、悲しみを経験するために肉体に宿り、光であることがどれほど有難いかを知るために自ら望んで生まれてきました
そしてまた、有難さや、喜びの意味を忘れてくると、私たちは光の世界から地表へと舞い降りてきます
すべての記憶を消し去って
それは約束であり、遠い絆の再確認です
悲しみの時には思い出してください
今は忘れ去られた、魂の絆の仲間たちのことを
わたしたちは、肉体の感覚を通して世界を見ているため、そばにあって共に悲しみを共有しあっている仲間たちの意識を感じなくなっています
ですがだれにも、仲間たちは寄り添い、ともに涙を浮かべています
たとえ地上の人間がそのことに気づかなくとも
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