仏教の開祖であるお釈迦様は輪廻転生からの解脱を説いたと言われています
修行して煩悩の火を鎮めていき、涅槃の境地に達すると、もうこの世に生まれ変わることがなくなるといわれました
何故お釈迦様はそうした輪廻からの解脱を説いていたのかと言うと、この世での生は苦しみの連続であるという見方から来ていると言えます
当時のインドでは、生きることそのものが苦しみと感じることが多く、しかも輪廻の思想はありましたが、次には虫や小動物など、様々なものに、まるで因果関係が見受けられないような、不条理な転生が信じられていました
人間としての生活も苦しいもの何に、さらに来世は家畜や虫などに生まれ変わらされたらたまらないと考えるのが普通でしょう
なのでお釈迦様の教えを説かれた当時のインドの思いとして、この苦しみの輪廻から抜け出せることを熱望していたという現実があります
それゆえお釈迦様はひとびとの願いを受け止めて教えを説かれていたのでしょう
教えのはじめに、この世は一切が苦であると述べているのも、生まれてよりこの方、苦しみを感じたことの無い人間などいないので、すべての人間を対象とする教えだということであり
「すべての人に法を述べ伝えたい」と言う想いがあったのだと思います
そして、お釈迦様は、現在で言うとマーケティング能力をとても持っていたのだと思います
単に小難しい法を説いていたのではなく、人々がどのようなことに関心があるのか、人々の思いを汲み取って教えを説こうとする方だったのです
ですので当時に人々の願っていた「苦しみの輪廻転生からの解脱」を説いていたのでしょう
それでは現実はどうかと言うと、課題(カルマ)を刈り取るための転生というのは、修行が進めば解脱するのは可能でしょう
カルマの刈り取りのための転生というのは、たとえば過去世で人を傷つけてしまったことがあり、それを解消するために、来世ではその人らを助けるため医者に生まれて治療するなどの生まれ変わりを言います
個人としての魂の学びの必要性として、どうしても避けられない体験があって、それを穴埋めするために生まれ変わってきます
そうした個人の魂の学びとして、生まれ変わってこなければならない状況を、輪廻に捕らわれた魂の状況と言えるでしょう
個人の魂の学びが進んでいくと、そうした捕らわれからの輪廻の終わりといってもよい状況はあるでしょう
それを輪廻からの解脱という場合があるようです
ただし、個人的な修行がある程度すんだ人間であっても、次には人々のためにこの世に生まれ変わってくるという段階があります
つまり自分自身の向上を目指していた転生から、次には人々のため、愛のための転生というのがあるのです
お釈迦様自身がそうでしょう
あるいはイエス・キリストなどもそうですが、こうした方々は、個人的な修行のためや、カルマの刈り取りのための転生ではありません
人々に教えを説いて、正しく導くためにこの世に生まれ合わせています
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