「許すことと許されること」
人を許すためには
人は、自分が他人にした不快なことは忘れて、他人からされたことはずっと忘れずに覚えてしまいがちです
人が無事に生きて成長するためには、様々な愛情を受けて育ってきています
それは育ててくれた両親であったり、直接してもらったことのある人だけではなく、歴史上のこの国を善くせんとして命を落として働いた偉人たちの恩恵を受けて、現在の生活が成り立っています
大人となるまでに、様々なる恩恵と愛情を受けてきたことを省みることなく、当然と思い、他人と比べて足らざるを嘆き、不満を漏らしているのが私たち平凡な人間の姿であろうと思います
そして現状あることが当然と思い、人の欠点や足らざる部分を見ては批判し、攻撃してしまいます
自らの不足や、与えられた分を世に返していないことは棚に上げて、見もせず気づかずにいます
自身の山のような欠点は目に入らず、他人の欠点は針の先ほども許せず、目ざとく指摘するのが平凡な人間の姿でしょう
もし自らが過ちの多い人間だと気づいたならば、神に許しを請わなくてはなりません
自らが許されるためには、人をも許さなくてはならないのです
あなた方が他の人になした不誠実な行為を反省し、相手を傷つけてしまっていないか省みてください
生まれてよりこの方、いまだに人に迷惑を掛けたり、傷つけたことの無い人はいないでしょう
もし、自分は誰も傷つけたこと無いと言う人がいれば、その人は自らをまったく分かっていない人です
そうした人こそ反省が必要でしょう
未熟な私たちは、他人には許しを、自らは反省に勤めるべきではないでしょうか
自らが傷つけられたとき、なかなか相手を許せないでしょう
特に信用していたり、愛するものから裏切られ、傷つけられたときの痛みは、なかなか消えないものです
ですが時とともに許していくことが必要となってきます
それは相手を許すということだけでなく、否定的な感情を抱いていた自分自身を許すことに繋がってまいります
自分も他人も、大本では一体であるというのが霊的真理としてあります
ですので人を許せない状態というのは、自らの罪をも許せない状態でもあるのです
人を許すことが、自分自身をも許されることへと通じていきます
解説
上記は以前に受け取ったチャネリングメッセージです
こちらについて少し補足の説明をしたいと思います
誰かに対してずっと恨んでいたり、憎しみが消えないことがあるでしょう
心無い仕打ちを受けたりとか、信頼していはずの相手に裏切られた時など、忘れることが出来ずに、相手にたいして憎しみを覚えることがきっとみなさんにもあるはずです
こうした恨みや憎しみを抱いていると、目には見えませんが、霊的には重りを背負っているような状態となり、心境が落ちる元となっていきます
そうした時には、許しが必要になります
許しは道徳的に良いことだからするのではなく、自らの重荷を取り除いて、身軽になるためにするべきです
重い荷物を背負って、人生の坂道を登っていくのは大変です
もっと身軽になって歩んでいきましょう
それが本当の意味で自分のためになるのです
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