今から36年も前になりますが、1985年3月、中東でイラン・イラク戦争が激化していました
当時、イラクの指導者だったサダム・フセインは、3月17日「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とす」と、世界に向けて突如宣言したのです
イランに滞在する多くの外国人は、慌てて帰国しようとテヘラン空港に殺到します
自国民を助けるために、世界各国の飛行機が飛び立ちますが、そんな中で日本人は取り残されていましま
当時は自衛隊機を日本人救助のために海外に飛ばすことも出来なかったのです
日本政府は有事に対応する事が出来ず、飛行機を飛ばせなかったため、多くの日本人がテヘラン空港にとどまっていました
彼らは「このまま取り残されるのではないか?」と不安になった事でしょう
フセインの宣言したタイムリミットはもうすぐです
その時、一機の外国の飛行機が空港に到着し、残された日本人215人を搭乗させると、日本に向かって飛び立ちました
それはタイムリミットの僅か1時間15分前だったそうです
この航空機は、日本が手配したものでもなく、トルコの航空機だったのです
野村豊在イラン大使が在イランのトルコ大使に救援を要請したところ、トルコ政府が快諾し、救助の飛行機を飛ばしたのが真相でした
どうしてトルコが救助に協力したかというと、それには1890年に和歌山沖で遭難したエルトゥールル号事件が影響しているとも言われています
今から約130年も前になります
1890年6月にヨーロッパ列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン帝国(現トルコ)から、同様な立場にいた日本に親善使節団が訪れました
使節団は明治天皇への謁見し、贈り物を届けて、日本側も饗宴でおもてなししました
一行は三か月ほど日本に滞在し、その間、官民挙げての歓迎を受けたそうです
そして九月には、巡洋艦・エルトゥールル号は母国に向けて出港いたしました
しかし、あいにくその時期は天候が悪く、和歌山県の熊野灘に差し掛かった頃には、大しけとなりました
エルトゥールル号は海の難所として知られていた船甲羅岩礁に乗り上げ、沈没してしまったのです
その時、自分たちの命の危険も顧みず、不眠不休で船員たちの救出に向かい、献身的な介護を行ったのが、旧大嶋村(現和歌山県串本町)の住民たちでした
587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故だったそうです
その後も、殉難者の遺体捜索や、引き上げにあたり、日本全国から多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられました
日本人の多くは、この海難事故について知らないと思いますが、トルコでは学校の歴史の教科書に載っている出来事だそうです
後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は当時、次のように語られました
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
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