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偽の我と真実の自己

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以前、テレビで仏陀の最後の言葉として、自灯明の話がされていました

「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」という説法を仏陀は最後になされたとされていて、これを自灯明、法灯明の教えと言います

ここでは自灯明と言って、自己を拠り所とするという、信頼すべき自己というものがあるという前提で説法がされています

仏教では自我というものは無いのだ、仮にいろんな要素が合わさってあるように見えるだけで、本当は無我なのだ、という教えがあります

一方では頼るべき自己があるように説かれ、他方では無我が説かれています

この部分の理解が不十分なため、後世に間違った仏教の流れが出てきたように思います

仏教では、無我なのだから魂というものも無い、無霊魂説なのだと説く流れもあります

これは仏陀の教えの一部を湾曲して、間違った考えに向かっているものです

仏陀は基本の教えとして、四諦八正道を説かれました

八正道というのは、八つの正しい道といって、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を言います

分かりやすく言うと、八つの指針をもとに、自己を正していく反省の教えを説かれていたのです

このように、自己を正しく修正していくというのは、自己があることが前提であり、自己そのものが無ければ、正していく必要もなく、自己を向上させる意味もありません

仏陀が説かれた無我は、肉体に宿って出てくる自我のことで、偽物の自我を指しています

魂が身体に宿ることで、肉体に依存する五感が生じ、それに依拠して諸欲が生まれ、さらに執着が生じることで煩悩が出てきます

そのように、物質世界に対応する低次の自己とも呼べる自我があります

肉体こそが自己だという認識によって、自我は強く生じてくるのです

そのため仏陀は、自我は本来無いものだ、肉体は諸々の縁によって仮に成り立っているもので、五感やそれに伴う意識は、仮に合わさったところに生ずるものなのだと説いたのです

私たちの表面意識のその奥には魂があり、さらに深いところには輝くダイヤモンドのような本質が宿っています

それを仏性とも言います

偽物の自我の奥には、ダイヤモンドのような真実の自己が眠っているのです

ただそれは、ダイヤの原石のようなもので、磨かなければ輝きを発しません

八正道やいろんな修行を行っている意味は、このダイヤの原石を磨いて、綺麗に輝かせるためだと言えます

偽物の自我に覆われて隠れている真実の自己を、覆いをはらって出現させることが無我の教えで、諸々の修行が出現したダイヤを磨くための行いです

ですので、人間には偽物の自我と、本来の自己があり、偽物は捨て去り、真実の自己は磨いていかなくてはならないという事です

こうした違いが分からなくなって、仏教では本当の教えから離れていっている部分があります

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