ひとは、孤独を感じて寂しくなったり、人から理解されず苦しんだり、愛されていないと嘆き悲しんだりします
肉体に宿ることのよって、ひとは分離感を体験します
肉体という物質のなかに潜むことで、本来の世界の一体感、ワンネスから離れ、孤独を味わうのです
何故私たちはそんな経験を自ら望んでするのでしょう
それは、愛されていること、理解されていること、一人ではなく、いつも一帯であることの喜びを真に味わいたいから
地上でしか体感できない感覚を得ることで、光りの故郷へ帰ったときの喜びを深くかみ締めたいからなのではないでしょうか
光の世界では、魂のソウルメイトとの一体感を絶えず感じ、心が表れるため、真の理解を得られ、あいまいな感覚ではなくて、本当に愛されていることを理解します
地上では、どんなに一緒にいても、時間を共有しても、場所を一にしても、物質に宿っているために、真に分かり合えることは無いかもしれません
真実の世界では、地上でいくら求めても得られなかったものがあります
地上のどのようなお金持ちでも、絶対的な権力者でも得られない喜びがあります
永遠、ワンネス、一体であることの喜び、理解される喜び、真に愛される喜び、これらは人類が捜し求めて得られないものでした
過去から人類は求めていたものは、実は光りの世界にあるものです
人がどうして求めてやまなかったのか、それは、以前に経験し、味わったことのある感覚なのだと、覚えてはいなくても、かすかな思い出として、魂の奥底にあるからなのです
かつて光の世界で味わった感覚があるからこそ、人はそれを求め、得られないことで悲しむのです
どうして、ひとはそうした光の世界の感覚を忘れて生まれてくるのでしょう
もし光の世界の感覚が残っていたなら、ひとは誰もこの物質世界が嫌になって、すぐにでも故郷へと帰りたがって、地上には誰もいなくなってしまうでしょう
ですので、感覚は忘れてくる約束をして生まれてきて、ただ、知識として得られるようになっています
一部の例外を除いては
地上にあるうちは、もとの世界では味わえない、貴重な経験をしています
さまざまな景色を体感するルートを辿りますが、約束として途中下車はしないように決めてきました
途中で旅路を放棄したら、約束を思い出す世界では、深い自責の念に苛まれるからです
どうか、貴重な物質経験をおろそかにせず、魂の経験を積んでいってください
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