安倍首相が靖国神社に参拝したことで、その賛否がいろいろと議論されているようです
海外からの反響はネガティブなものが多いようですが、総理のフェイスブックなどではいいね!がたくさんで肯定的な意見が多いようですね
そこで政治的な見解は別として、霊的な視点から靖国を考えてみます
靖国神社は明治から戦争で亡くなられた方を祀る神社として存在しています
戦争で亡くなった軍人等を慰霊するための施設は、たいていどこの国でも存在しており、アメリカではアーリントン国立墓地が有名です
戦争というのはどちらの側の人も、敵兵を自らの手で殺め、そして殺されるという悲惨な状況が大規模で起こるのであり、それについて何らかの形で慰霊するという行為は当然あろうかと思います
霊的に言えば、すぐに浄化される魂ばかりではなく、亡くなられてもいまだに戦場にいるような境地の魂も多いでしょうから、そこから救済するためにも、多くの人の慰霊の念をお送りするということは必要でしょう
実際にそうした人々の念により浄化が早まるのだろうと思います
それについて国家の代表である総理が参拝されるというのは、慰霊を国民全体として行うという意思を示すということで慰霊のためには有効な行為だと思います
ただ諸外国からの批判が出てきているのは、戦没者をすべて神様として祀る形式が理解できないというところもあろうかと思います
前述しましたようにたいていの国で慰霊する施設というのはあるわけですが、日本の靖国のように、戦没者を神様として祀る国は他に無いのではないでしょうか
日本ではたとえば左遷されて恨み心を持って亡くなったと思われる菅原道真が、怨霊として祟りをなしていると考えて、太宰府天満宮で祀ることをしています
このように怨霊を鎮めるという機能も、神社を作って神として祀るという行為にはあります
これは日本固有の考えと思ってよいと思います
そうした戦没者を神として祀るという行為が日本では慰霊の意味も含まれているわけですが、諸外国には文化の違いによって理解しがたい面としてあると言えます
靖国神社は明治期に作られたわけですが、その頃は廃仏毀釈といって仏教等は否定され、神社等に作り変えられたりしていました
実はそうした思想的な偏狭な部分が、諸外国から批判されたり、バッシングされる遠因となっていたと思います
もしも明治維新で仏教などにも寛容な政策を採っていたならば、慰霊は仏教が得意ですから、靖国に変わって仏教式に戦没者の慰霊施設が出来ていたかもしれません
そうなれば海外からの批判というのも無かったか、今より少なかったでしょう
廃仏毀釈のような偏狭的なナショナリズムが諸外国から批判的に見られていて、それが敗戦でゆり戻しがありましたが、いまでもあるところを感じ取られて批判を受ける元となっているように思われます
そのような日本に向けられた批判的な念や、日本の国民自体の自虐的な意識等は、戦没者の方の浄化を遅らせる原因となるかと思われます
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