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仏陀が苦行の末に悟られたこと

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仏教を開かれた、お釈迦様は、王様の息子としてお生まれになり、やがては跡を継いで王となる予定の方でした



ですがお釈迦様は贅沢な王宮での暮らしを捨て、真理を体得し悟りを開くために出家いたします

山林に入られてから、断食したりとか、長く息を止めるなど、数々の苦行をなされてます

そして六年もの間、生死をさ迷うような激しい苦行を続けられ、身体はボロボロになってしまいます

そんなお釈迦様がある日、川で沐浴をしていると、一人の村娘がミルク粥を差し出してくれました

この粥を頂いて体力を回復されたお釈迦様は、近くに生えていた大きな菩提樹下に座して瞑想し、ついに悟りを極められ、仏陀=目覚めたるものとなりました

お釈迦様が悟りを開かれ仏陀となられた日は、東アジアの伝承では旧暦12月8日とされています

お釈迦様はついに悟られたのですが、その前に、苦行をされていました

しかし六年の激しい苦行の中には、悟りの因は無かったと説かれます

苦楽の中道に悟りの因はあると説かれたのです

つまり王宮生活での、快楽ばかりを得ていた時のような楽の中にも悟りの因は無く、激しい苦行のなかにも悟りの因はありません

苦楽の中の道を通ってこそ、悟りへと到達すると説かれました

ですから、現在も色々と厳しい苦行をされていて、それが偉い証拠のように思っているところもありますが、実際にはそこには悟りの因はないのです

山の中を何日も歩き回ったり、断食して不眠不休で座禅したり、水に潜って息を止めたりなど、肉体を苦しめる行は今でもありますが、そのには悟りの因は無いという事を、すでに2500年前にお釈迦様は説かれているわけです

これは宗教的な修行ばかりではありません

私たちの日常生活においても、苦行を耐えている事で良くなっていくのではないかと考える人は多くいます

夫や恋人からのDVに苦しんでいる人もそうでしょう

いつかは良くなってくれるとか、自分が耐えていればよいと思っていて、その実、悪を助長している事があります

あるいは報われない恋の先には、幸せが待っているのではないかと、不倫関係を続ける人もいるでしょう

虐待する者のもとから抜け出せずにいる人もいます

イジメなどもそうでしょう

学校でのイジメもあれば、親族からのイジメ、職場でのイジメ等いろいろあります

そうしたところで単に苦しみを耐えているだけでは、何の成長もありません

精神的なことを重視する人でも、苦しみを耐えることが修行のように感じる人も多くいます

これは昔から宗教などでは苦行するところも多くあり、前世での経験でそうした傾向が出ている場合が多くあります

そして今世でも、苦しい環境を引き寄せてしまい、この苦しみを耐えるのがよいのだと思ってしまいます

お釈迦様は修行は進めましたが、苦行は進めていません

この修行と苦行の違いを分からないと、無駄に苦行を積んで、自分を痛めつけるだけになります

修行とは、自らの心を鍛え、向上させていく事です

苦行は肉体や心を傷つけ痛めつけることです

毎日傷つき苦しんでいるのは、苦行ではないでしょうか

将来のために刻苦勉励し、キツイ努力を重ねているのは修行でしょう

下積み時代に、人の嫌がる作業をしなければならないこともあり、修行を積む必要もあります

自分の置かれている環境は、はたして自らを向上させる修行なのか?それとも単に傷つけているだけの苦行なのかを見極めることが大切です

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