人のこころは痛がりなので、傷つかないようにと鎧で身を守ろうとします
もう傷つかないように、悲しみに出会わないようにと、重い鎧を身に着けます
そしていつしか、その鎧そのものがあなた自身であるかのように感じ、周りもそう思います
重く醜い姿がそこにはあるのです
傷つかないようにとまとった重い鎧は、やがて自らを苦しめていきます
身にまとった鎧は、肉に食い込み、やがてそれ自体が苦しみを生みます
そうして人は自ら生みだしたものに苦しんでいくのです
私も子どもの頃から他人の言葉や思考というのが過敏に感じ取られ、それで苦しみを生みだす事が多くありました
神経が過敏で、ちょっとした事でも傷ついてしまう性格をしていました
そのため、知らず知らずに重い鎧をまとい込んでしまい、いつの間にかそれが苦しみを生んでいたと思います
他人がどう思っているかを必要以上に気にしてしまうため、人と会うのが苦手で、会ってもうまく溶け込めないでいます
警戒してしまい愛想よく出来ないため、余計に周りの人から倦厭され、ますます傷ついてしまいます
そのように、結局は自分自身でまとった鎧が、自分を傷つけるもとになっていました
私のような鎧以外にも、様々な鎧を着た人が世の中にはいます
なかには傷を隠すために、かえって饒舌になり、他人に話す隙も無いほど話したてる人もいます
急におしゃべりになって話し続ける人もいます
これもまた傷つきたくないがために、鎧を被っている姿です
または、傷つけられる前にと、先に相手を攻撃してしまう人もいます
自分が傷つけられるのが嫌なものですから、なかには率先して周りの人を傷つけたり攻撃する人も出てきます
そのなかには、自分が傷ついてきた分を分かってもらいたいために、他人にも同じような苦しみを与えて、自分の傷を癒そうとしている人もいるのです
ある業界や部活などで、伝統的に後輩を理不尽な目に合わせるような事もありますが、それ等も自分たちがされた分を、下にものに味合わせるというものでしょう
他にも、必死に万能な姿を見せて、自分のコンプレックスを隠そうとする人もいます
けして自分の弱点を見せまいと、何でもできる事をアピールしたりもします
そのように、何らかの形で傷をつけまいと鎧を着てガードしている事があるわけです
自我の働きというのは、自分を守るために、必死に周りにバリアーを張ろうとしたり、近づく者を攻撃しようとします
そうしていつかは自分が苦しんでいくのです
この自我の働きを抑えるために、二つの方法があります
ひとつには伝統的な仏教の教えにもありように、自我を無くしていき、無我を目指して修行するという方法があります
自分への捕らわれを去って、我執を手放していくというものです
自分がどのような鎧をまとっているか自覚して、それを脱ぎ去っていく考えといえるでしょう
そのように鎧というものを見つめて、不要な物として脱ぎ去っていくという方法があります
そしてもう一つには、自分の事ばかりを考えて捕らわれるのを捨てて、他人の事、周りの人の事、世の中のためになる事を考えてみるという方法があります
これは愛する思いの中に、自我を消していくという事です
傷つかないようにと必死に考えている思考は、自分の意識が強く働いており、自我が活発に働いている状態です
それを他人を愛する事、思いやりを持つことで思いが一転し、自我の働きを消していきます
自分が傷つかないようにと考えるのではなく、相手によかれと思って考えてみるというものです
そうすることで自然と鎧も脱げていきます
仏教的に執着を手放していく修行も、愛をもって接するという実践も、ともに無我へと通じていきます
自我という偽物の我の働きを消していき、本当の自分に戻るための方法といえるでしょう
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