ジャラール・ウッディーン・ルーミーはペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人と言われ、スーフィズムの重要な人物の一人と見なされています
スーフィズムとはイスラム教の神秘主義の流れをくむもので、ヘルメス主義とも関係の深い思想だと思います
今日は日本では馴染みの薄いルーミーの詩をすこし紹介しいたします
『ルーミー詩撰』
「光の子供たち」
あの星々の向こう側に、別の星々の輝く宇宙がある
イフティラークの影も無く、凶兆も無き別の宇宙が。
既に知られた七層の宇宙とは、別の宇宙がある。
そしてその宇宙を、行き来している星々がある。
神の光を内在させ、神の光を以て輝きを放つ星々。
その軌道は重なるでもなければ、離れるでもなく。
あの星々を守護の星座とする者ならば誰であれ、
その魂はすれ違いざまに異教の徒を焼き滅ぼす。
神は全ての魂の上に、惜しみなく光をまき散らしたもう。
祝福されし者達は、衣をたくしあげてこれを拾い集める。
贈られた光の豊かさ、気前の良さに、
神以外の何ものも目に入らなくなる。
海に属する者は海へと還る、
いつかの道を再び還りゆく
やがて奔流となり山頂から流れ出で、
愛と混じり合い我らの体と魂を潤す。
「聖者の水」
その水は天国から流れ来る
地上の罪を洗い流すために
罪の全てが清められた後で
かつて清らかであった水は
汚辱と罪を引き受けて濁り
あらゆる純粋と清廉の泉へ
天国へと逆巻く急流となる
水はやがて新たな光を得て
再び地上へと流れて落ちる
輝く清純の衣の跡を遺して
その水は地上の聖者の精神
その水は天国から流れ来る
病める魂に注がれる神の水
その水は天国から流れ来る
地上に罪ある限り幾度でも
繰り返し流れては再び還る
水が自ら滅びを望まぬ限り
幾度でも天国から流れ来る
天国の最も純粋な光の泉へ
神へ還る終末のその日まで
「魂の階梯」
私は鉱物として死に、植物となった。
私は植物として死に、動物となった。
私は動物として死に、人間となった。
どうして私が恐れることなどあろう?
かつて死によって失ったこともない。
それでも再び、私は人間として死ぬ。
その時は天使となって空高く飛ぼう。
だがさらなる次の階梯を目指すなら、
私は天使の姿をも脱ぎ捨てるだろう。
そして私は想像も及ばぬものとなる。
最後には全て消滅し、残るは神のみ。1
無となった私に、オルガンが告げる。
「われわれはなべて神へと還り往く」
「光はひとつ」
ランプはそれぞれ違っても、放つ光は同じひとつ。
光、それははるか彼方から届けられる。
あなたがランプに眼を奪われ続けるのであれば、
あなたはあなた自身を奪われてしまう。
ランプの種類は数限りなく、各人の嗜好もまた然り。
あなたの視線を光に転じ、光そのものを見つめよ。
そうすれば、あなたは地上における事象に特有の、
二元性の限界から解き放たれるだろう。
そのようにして新たな視線を獲得すれば、
イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の違いは、
依って立つ位置の違いに過ぎないことが理解できよう。
ヒンドゥー教徒たちが、見せ物にしようと象を連れてきた。
見物客たちは、象のつながれた暗い小屋へと入ったが、
暗闇の中では、眼で見ることは不可能だったので、
それぞれの手のひらで象に触れる以外には方法がなかった。
ある者は象の鼻に触れ、「この獣は水道管のようだ」と言った。
またある者は耳に触れ、「この獣は扇のようだ」と言った。
またある者は脚に触れ、「まるで柱のようだ」と言い、
またある者はその背に触れた。「本当に、」その者は言った、
「これは玉座のような生き物だ」と。
一人ひとりが光を放つろうそくをその手にしていたら、
それぞれの言葉に違いはなかっただろうに。
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