前日に引き続き、手放すことについて話していきます
ある被災地の方で、仕事や生活の面でその土地は難しい面があり、他所の土地に離れるべきかを悩んでいました
ずっと住み慣れた土地であり、離れがたく思っていたため葛藤がありました
ひとは変化を望まず、現状の安泰の中に生きていたいと望みますが、時の砂は、両手からサラサラと落ちていき、留める事が出来ません
思い切って古き物と決別し、新境地に入ることによって、また新たな出会いや宝物を手にすることが出来ます
前日は猿の話をしましたが、海のタコについても似たような話があります
海の中に壷を沈めて漁をする方法があり、その壷の中に、タコの好きそうな餌を入れて沈めておくと、翌日に壷を引き上げたらタコが入っています
壷が引き上げられるときに、逃げ出したら助かるのですが、タコは必死に壷にしがみ付いてしまいます
それゆえ漁師に捕らえられてしまうのです
人間も同じく、土地や建物、職業、地位や名誉、お金、人間関係など、さまざまなものに執着し、それが苦しみの原因となっています
仏陀はそうした人間の性質を見抜き、執着を手放すように人に諭しました
この世は絶えず移ろい行くものであり、川の流れのようにとどまることなく、絶えず変化していきます
その変化を恐れ、嫌い、川の流れをなんとかせき止めようと望むから、苦しみは増していきます
この世=物質世界には永遠なるものはなく、絶えず変化し、留まる事がありません
そして仏陀が執着を絶つ教えを説かれたのは、生きている人間のみならず、死して浮かばれずにいる人にも当てはまっていたのです
地縛霊という言葉を聴いたこともあるでしょう
おどろおどろしい響きで、あまり使いたくないですが、肉体を離れて、霊となった人でも地上であったように、何かに執着し、きちんとあの世に旅立てないことがあります
せっかく建てたお家だとか、やっと手に入れた土地だとか、一生懸命蓄えたお金だとか、あるいは、残された子孫に執着することもあります
そうした地上にある物事に執着していると、うまくあの世に旅立てず、霊となって留まる事があるのです
テレビや雑誌などでは、そうした未浄化な霊を、恐ろしそうに、気味悪く表現されていますが、生きている人で、今亡くなったとして、何の未練も無く旅立てるという人のほうが少ないでしょう
そうした中で、執着が強いと、同じように亡くなられたら、地縛霊と呼ばれることになったりするかもしれません
この世のものは何一つあの世に持ち帰れるものはありません
地上で経験した体験や、思い出、学び取った魂の輝きしか持ち帰れず、この世の物質的なものは置いていかないとならないのです
ですので、執着を絶つことは、地上にある人が苦しみを手放すことでもありますし、亡くなって後に、清浄に旅立てるための教えでもあります
古いものを手放すことで、また新たな体験や出会いや学びを得られます
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