人は人生の中で、”自我のドラマ”を演じています
それは自分がどのような存在かを決めたり、人がどのように自分に接するかを決めるドラマです
いつも駄目な異性ばかり好きになってしまう」という人は、自身が選んだ”自我のドラマ”の脚本どおりの相手を選んでいるのですが、表面意識では気付かずに嘆いたりします
自分はいつも不幸ばかり訪れると信念を持っていると、まわりはその人を不幸と思える状況においこむ役目をします
いつも他人は迷惑なことを持ち込んでくると考えている人のもとには、迷惑と思えるような行為をする役割の人が舞い込んできます
いつも部下は失敗ばかりすると考えている上司のもとには、いつも人から怒られてばかりだというドラマの脚本を持った人が引き寄せられてきます
こうした”自我のドラマ”は一人で演じるのではなく、大抵は対になる役割の”自我のドラマ”の脚本を持った人がいて、お互いの役割をはたしています
”自我のドラマ”というのは、その人自身が持つ信念体系とも言え、思い込みで作られた脚本です
以前の記事で書きました「依存と支配の関係」も同じで、支配する役割と、依存者が互いにいてこそ成り立つドラマです
好ましくないと思っている関係であっても、お互いに役割を演じているのですが、互いが互いを批判しあう関係であったりします
こうした”自我のドラマ”に翻弄されるもとには、他人や環境などが自分の幸不幸を左右していると言う、責任を転嫁する思考から生まれてきます
人生において起こる出来事を、自己責任として考え、この出来事は自分に何を教えようとしているのか、自分のどのような思考がそうした出来事を引き寄せているかを考えるようになると自我の生み出すドラマの脚本から抜け出せるようになります
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