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守護者がいながら何故不幸はおこるのか

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地上に降り立つ一人ひとりに、守護する霊的な存在がいることは聞いたことのある人も多いと思います

ですが、何故、そうした存在がいながら、自分は不幸になってしまうのか、あるいは不遇が続くのであろうか、と悩み、それゆえ信じられないと考える人もいるでしょう

守護する霊的なものがいながら、地上にある本人の望まない出来事がおこるには、いくつかの理由があります

ひとつは、生まれてくる前の段階で、その人自身が、あらかじめ予定したシナリオであった場合があります

たとえば、病気であるとか、事故や、愛する者との離別であったり、本人の望みとは思えない出来事も、実は、あらかじめ約束された出来事である場合があるのです

本人が、生まれてくる前に、そうした出来事に直面することで、自らの向上となると判断してそうした事態を組み込んで生まれてきている場合があるのです

小学生の頃などは、勉強せず遊びたいと言う思いが強かったでしょうが、大人になってもっと勉強をしておけばよかったと悔やむこともあるでしょう

肉体を脱ぎ去って、霊的な存在に帰ると、たとえの大人のように、もっとこうしたかった、ああしたかったっと後悔することが多いのです

そのため、次回に生まれてくるときは、積極的に苦労を買って出て、自らの向上としようと予定して生まれてくるのです

そのように、自らの向上のために計画されるがありますし、もうひとつは、前世にておこなった行為のカルマを刈り取るためにそうなるということもあります

たとえば、前世において、身分の高い階級として生まれ、それを鼻にかけて、下の者を傷つけたとします、その人は霊界に帰ってから、後悔の念がでてきて、今世では、あえてその傷つけた人の部下となって、厳しく指導される環境に自らを置く、ということもあります

それは、誰かに強制されて仕組まれるのではなく、霊界で自ら望んでそうするのです

霊界へと帰ったときには、自分がなした行為や言葉によって、どれだけ相手を傷つけたか、相手の痛みが、自らのこととして感じられるのです

そのため、人を傷つけたものは、あの世に帰ってより、後悔の念が強くでてくるのです

上記のように、あらかじめ予定されていた出来事もありますし、また、守護する者が、そうした体験を積んだほうが、本人の向上のためによいと判断した場合に、あえて厳しい経験をつむことがあります

守護するものの役割と言うのは、単に幸せを運んでくるお人よしということではなく、地上にある者を、どれだけ向上させ、人々の役立つものとして成長するかを願っている存在ですから、あえて、厳しい指導もすることがあるのです

さらに、別な原因を述べると、地上にある者が、悪しき思いを抱き、ネガティブなエネルギーに取り巻かれるようになると、まるでランプのガラスが煤けて光りが見えなくなるように、守護するものの指導を得られず、ネガティブなものの影響を受けるようになり、不幸がおこることもあります

地上にあるすべての人が、気付かずに日々何らかの霊的な影響を受けているのですが、その人の思いによって、同種の存在を引き寄せているのです

愛念に満ちたものには、愛情あふれる守護者が加護しておりますし、他人を害する思いを把持するものには、同じく人を不幸にして喜ぶものが近づいてまいります

そうしたネガティブなものと関わらないために、自ら発する思いを点検し、心改め、過ぎた過ちも悔い改めるようになさるべきです

このように、守護する者がいても、必ずしも望みどおりの人生を送れるわけではなく、意図していないような出来事に見舞われることが、多々あるのです

そうしたなかで、日々起こる出来事を、運がよかったとか、不運だったとかで片付けずに、その出来事は自分になにを教えようとしているのか、自らのプラスとなれるように考えていっていただきたいと思います

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