目の前に起こっている苦しみや悲しみに対して、他人を責めたり、自分を責めたりすることを書きました
それらは”自我”が自らを守ろうとする、防御反応です
私たちは”自我”の暴走を止めて、静かに問題と向かい合うことが必要です
他人が悪いとか暴れたり、自分が弱いからだとかくよくよしたりせず、静かに起こっていることをまずは受け入れましょう
そして、苦しみ悲しみなど、目の前に起こっている問題は、神仏が私に何を教えようとしているか?その問題に正解を出していこうと考えてみるのです
今の自分にとって必要な課題が、学ぶべきことがあって起こっていると考えるのです
たとえば、病気になって入院することもあるでしょう
その時に、「会社や家族のストレスのせいで病気になったんだ」と人を責めたり、「自分はこんな弱い体をしてダメな人間だ」とか、自分を責めるのではなく、まずは受け入れて、この病気が何を教えようとしているか考えるのです
ひょっとしたら、働き詰めで、自分を顧みる時間がなかったので、病の間に、家族の大切さや、健康のありがたさ、自らの過去を振り返ること、そうした考える時間をもたらしているのかもしれません
あるいは、会社での出世が遅れたり、志望学校や会社に入れないような挫折を味わうこともあるでしょう
そうした時も、静かに受け入れ、自分に何を教えようとしているのか、を考えてみるのです
ストレートに合格したり、成功したら、慢心してしまう可能性があるため、あえて挫折を味わうことになったのかもしれませんし、人生は甘いものではなく、厳しいものだと教えるものだったかもしれません
そのように、自分の人生を通して、神仏が自分に何を教えようとしているのか、そこから何を得られるかを考えましょう
人生に起こる出来事は、偶然に起こるのではなく、そこに意味があり、起こるべくして起こっているのだと受け入れてみましょう
そうすることで、あなたの本当の人生が開いていきます
関連記事
ブログランキング に参加していますあなたのクリック=愛でこのブログは大勢の人に見てもらえています
いつも応援してくれて、ありがとうございます

スピリチュアル ブログランキングへ

にほんブログ村