山登りなどをしていて、急な崖や危険な場所を通る時には、命綱が必要になってきます
命綱によって安全が守られ、底に落ちなくて済みます
私たちの人生のも、山あり谷あり、時には危険な崖を乗り越えなくてはならない時があります
そうした時に、無事に登り切れるように、下に落っこちてしまうのを防ぐために、人生の命綱が必要になってきます
この人生の命綱とは何かと言えば「私は神仏に愛されている」という確信と思いでしょう
どんな過酷な道を通ろうとも、いかに危険な崖を登ろうとも、「私は神仏に愛されている存在なのだ」という思いを持っていたなら、戻ってこれない底に落ち込むことなく、またやり直して人生を歩んでいけます
私の人生を振り返っても、やはり「神仏が見守ってくれいていたからこそ、ここまでこれた」という思いがあります
「神仏が愛してくださる」という思いが命綱となって、人生のどん底まで落ちずに、またやり直すことが出来ました
「この試練はいつか乗り越えられる」、「やがて晴れ間が見えてくるはずだ」と気持ちが折れることなくいられるのも「なぜなら神仏は愛してくれているから」という思いがあればこそです
試練や逆境は乗り越える事で自らの魂の肥やしとなり、魂を磨く砥石ともなります
もしも「神も仏もあるものか」と、天も人も恨んでしまったなら、その底からはい出せなくなるでしょう
神仏の愛を信じられるのは、人生の命綱と表現しましたが、これは芥川竜之介が書いた「蜘蛛の糸」のようなものでしょう
生きている時に強盗などをして悪事を働いたカンダタという男が、死後に地獄に落ちてしまいます
彼が生前に蜘蛛を助けてあげたことをご存知のお釈迦様が、天から蜘蛛の糸を垂れてカンダタを助けようとするお話しです
人生の命綱も、天から垂れてきた一本のロープのようなものです
それを握りしめるのか、それとも振り払うのかは、地上の人間の判断に委ねられています
ロープを握りしめるとは、神仏の愛を信じるという事です
苦難にあった時に、自分一人でもがいているように感じられますが、実は神仏の垂らしたロープにつかまり、助け出されていたのです
それは災害などがあった時に、自衛隊の方などがヘリで救助に来て、ロープを下げて避難者を救出しているような姿に似ています
地上にいる私たちは、自分一人の力で苦難の場所をよじ登っていると思っていますが、実は神仏の見えざる命綱によって助け出されているのです
苦難や逆境にある時には、どうかこの命綱を手放さないようにしてください
以前にも紹介した事のある『あしあと』という詩を紹介します
ある夜、わたしは夢を見た。↓金色の星の画像を一日一回クリックしていただくと、ランキングに反映されて多くの人に読んでいただけるようになります
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
byマーガレット・F・パワーズ
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