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世界と宗教の大きな二つの流れ

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宗教には、神と人との関係において、隔絶論と同一論があります

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はおもに隔絶論の宗教と言っていいでしょう



隔絶論においては、神様と人間とはかけ離れた存在であり、人間はただ神を畏れて救いを得るために命令に従わなくてはなりません

それゆへ人間の平等が強調され、人が神になることは考えられません

同一論の立場では、人間のうちには神性(あるいは仏性)が宿っていて、修行や認識などによって神様・仏様に近づいていけると考えます

仏教はもちろんそうですが、キリスト教でもグノーシスや、イスラム教のスーフィズム、両者に影響を与えたヘルメス主義などがあたります

同一論からは個人の尊厳や、人権尊重の思想が生まれます

現在の政治の流れとしての、平等を重視する共産主義と、個人の自由を尊重する自由主義との対立は、上記の隔絶論と同一論に源流を持つと言っていいでしょう

このあたりは「ヘルメス主義」の記事に書きました



古代社会においては、自然環境や気候変動によって、容易に人の命が奪われる時代が長く続きました

そのような時代においては神様の恩恵や、逆に怒りの激しい神様というのが思い浮かばれて、人間には到底太刀打ちできない恐れ多い存在としての神様を考えました

圧倒的な力によって人間の生死を左右する存在である神様に恐れを抱きながら、戒律に従って生きていたのがうかがえます

現在でも共産主義では人間平等を重視しますが、強権によって人々を恐怖心によって従わせます

隔絶論が極端までいくと、人間の努力は無くなって来て、戒律に触れぬように、おとなしい囚人のように生きていくこととなります


同一論では、人は神様・仏様へ向かって努力し向上する思想が生まれます

個人が尊重され自由が重視されますので繁栄しやすい体制といえるでしょう

共産主義でも個人の努力が認められないので経済は停滞してしまいますし、自由主義のほうが経済的には繁栄しています

ただ、同一論でも極端に行くと、人間はすぐに神様仏様と一緒と考えるようになって、努力の放棄や、慢心へと落ちてしまうことがあります

仏教では天台本覚思想(すべてのものはすでに悟っている・成仏しているとする思想)に見られます

本覚思想では、人間はもとより悟った存在であるから、修行する必要もなければ戒律も守る必要がない、凡夫は凡夫のままでよいっとする考えが出てきます

似たような思想はスピリチュアル界隈でもよく耳にします

おもしろいことに、神様と人との間が開きすぎている隔絶論でも個人が努力しても無駄だと考えて努力を放棄する考えが出てきますが、その対極である神様・仏様と人間が一緒だとする考えからも修行の必要もないとする思想が生まれます

神様と人との距離が圧倒的に離れていたり、あるいは近すぎたりすることなく、適切であることが人類の向上には必要なことだと思います

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